the INTERVIEW

「やっとSGの舞台で走れる。
出るからには優勝を目指して頑張ります」

デビュー20年目にして初めて福来剛がSGの舞台に立つ。デビュー当時から素質は評価されていたが、度重なる事故で実力を発揮できなかった。2017年には通称「魔の八項」に抵触して6ヵ月間レースができなかった。そんな試練を乗り越え、ようやく手にしたSG出場権だ。

地元・平和島での初舞台に、「出るからには優勝したい」と気合も十分。オリンピックを前に盛り上がる東京・平和島で、笠原亮以来15年ぶりのSG初出場、初優勝の快挙を見られるかもしれない。

(インタビュー&構成/『マンスリーBOAT RACE』武内達也)

◆通算成績(2020年2月28日現在)

出走回数 優出 優勝 2連率 3連率
全種別 3,964回 138回 28回 48.2% 64.7%
G  I 397回 2回 0回 33.7% 51.3%
◆全国成績(最近2節)
20年 2月 多摩川 GI・周年 5534211113
20年 2月 戸 田 GI・地区選 1223失5341
◆平和島成績(最近2節)
19年 12月 タイトル 11133321(中止)
19年 10月 GI・周年 34136222
Profile

ふくらい つよし
1981年6月13日生まれ。東京支部・87期。
2000年11月、多摩川でデビュー。06年12月、多摩川・一般競走で初優勝。06年1月、唐津・新鋭王座決定戦でGI初出場、GI優出は08年に蒲郡で開催された江戸川周年、19年の江戸川周年の2回。1同期には福島勇樹、杉山正樹、石橋道友らがいる。


大晦日にV6達成ならずも勝率7.24でSG出場権獲得

― デビュー20年目、ついにSG初出場です!

福来クラシック出場が決まった時は、「嬉しい」っていうのと、「やっとSGの舞台で走れる」って気持ちと…、さまざまな感情がありました。

時間が経った今は、純粋に楽しみです。以前の自分なら、GIの斡旋が入ると「勝率を落としてしまいそう」と不安が先行していたけど、最近は自分でも調子が良いと思っているので不安はありません。逆に、SGに出られると気持ちが高ぶっています。

― 平和島のクラシックは意識していましたか?

福来全然です。これまで年間V4が最高だったので、まずは優勝4回に到達してから考えようと思っていました。

6月の唐津と平和島、7月には児島で優勝回数を伸ばせて、9月尼崎で4回目の優勝をしたので、そこでクラシック出場を意識しました。10月に宮島で優勝してクラシック出場が現実的になってくると、今度は「年間V6に乗せて、クラシック出場を確定させたい」っていう気持ちが出てきました。

年末の多摩川では、選出順位で僕より1つ上にいた坂口周さんに「勝率もあるし、優勝5回なら大丈夫」って言っていただきましたけど、やっぱり出場を確実にするためには6回目が必要だと思っていたし、狙っていました。

― 6回目の優勝を懸けた大晦日、優勝戦がまさかの中止!

福来あの時の平和島は向い風が結構強くて、3号艇ならチャンスは十分あるなと思っていました。スリット隊形がバラつく可能性があったし、仮に横一線になっても良い感じで攻められるイメージもありました。ただ、自分だけがレースしたいと言ってもダメですから。

後で気付いたんですけど、もし優勝戦の成績が悪かったら、勝率が落ちてクラシックに出場できなかった可能性もあったみたいです。だから今は、しっかり走って優勝戦まで進めて良かったなと思っています。

ボートレーサーという職業はやりたい事が全部詰まっていた

― どうして選手になろうと?

福来父がバイク好きで、その影響で自分もバイクや機械いじりが好きでした。自分がバイク関係の仕事に就きたいって話したら、「それならオートレーサーはどう?」って。父はオートレーサー志望だったみたいです。

そんな時に、父がたまたま見た新聞でボートレーサーの募集記事を見つけました。オートレーサーとは違うけど、乗り物に乗れて、整備ができて、お金が貰える。「自分のやりたい事が全部詰まっている仕事だな」と思って受験しました。初めてボートに乗った時は「何て乗りづらい乗り物なんだろう」って思いましたけど(笑)。

― ボートレーサー人生を振りかえってみてどうですか?

福来いやぁ、本当に長かったし、かなり遠回りをしちゃいましたね。周りの先輩方からは「フライングさえしなければ良いところまで行ける」って早い段階から言われていたけど、事故癖がなかなか治らなかった。

期が替わると事故率がリセットされるので、そこで解放されるというか、「またスタートが行ける」って気分になっちゃうんですよ。そういう点では、昨年は事故しないように気をつけられた1年だった。それが結果に繋がってくれたのかなと思います。

事故多発で「魔の八項」に抵触“最強のB2級”狙い復帰も…

― 長い休みもありましたね。

福来2017年後期審査期間(16年5~10月)の八項抵触ですね。立て続けにFを切って、妨害失格もしてしまって。

― 出走56回に対して事故点が67点もありました。休みの間は?

福来やってしまったことは仕方ないと割り切り、休みの間はボートから一切離れて子育てをしていました。けど、面倒を見ている内堀学君から情報が入ってきていたので、やはり頭から完全には切り離せませんでしたね。

あの休みは良い経験だったと思いたいけど、家族からは「経験しなくても良かったんじゃない?」って言われます(苦笑)。

― 17年5月の平和島で実戦復帰、B2級からの再スタートとなりました。

福来復帰した時は、同じく八項でB2級を経験された西島義則さんのように“最強のB2級”と言ってもらえる走りをしたいなって思っていました。

実際はレースも調整も上手くいかなくて、そこまでの活躍はできなかったです。さすがに、180日の休みは長いなと思いました(苦笑)。

(注)八項…選手出場あっせん保留基準第8号のこと。
選手出場あっせん保留基準(一部抜粋)
選手出場あっせん規程第八条の規定に基き、選手の出場あっせんを保留する場合の基準及び保留期間を次の通り定める。
八 選手級別決定基準に基き、勝率三・○○未満の者及び事故率一・○○以上のものは、成績確定後直近の六ヶ月間
但し、次に掲げる者又は期間を除く。
イ 級別審査対象期間内の出走回数が五〇回に満たない者
ロ 級別審査対象期間内の勝率が三・○○未満の者であっても、新規に登録された者は、その後の競走に出場した二期間

長い休みは良い経験だった?プロペラの形を見直し成績上昇

― しかし、近況は絶好調です!

福来一昨年くらいかな? ずっと周りと同じプロペラの形で走っていたけど、「何か違う。このままだとA1級も危ういな」と感じていました。実際にA1級に復帰した18年後期は勝率6.30で298位で、ギリギリでの復帰でしたしね。

その時に「自分で、一からやろう」って、持っていたプロペラのゲージを全て捨てました。それからですね、調子が良くなってきたのは。

全て自分で考えて調整したプロペラは周りと全く形が違いましたが、自分にはドンピシャに合った。まだ100%ではないけど、引いたエンジンに合わせて柔軟に対応する力もついて、調整方法もつかめてきました。やっぱり長い休みは良い経験だったのかな(笑)。

― 整備はしても、プロペラ調整はあまりしてこなかった?

福来実は、養成所時代からプロペラに全く興味がなくて(苦笑)。整備のほうが好きだったので、プロペラは着いていれば良いと思っていました。その分、プロペラを調整するときに引き出しがなくて、それが原因で苦労したなと思います。プロペラ調整が好きになったのは最近です。

平和島は東京3場で一番好成績強い気持ちでチャレンジする!

― 初SGの舞台は地元・平和島です。

福来SGがどんな場所なのか走ってみないとわからないけど、平和島開催なのは自分の中でかなり大きい。頑張るということは一緒だけど、“地元”っていうだけでやる気がアップします。それに、東京3場の中でも勝率、1着率、2連率、3連率とも平和島が一番良いことも、自信が持てる理由です。

平和島は多摩川ほど綺麗で走りやすい水面ではないし、江戸川ほど走りづらい水面でもない。その中間な感じが、自分に合っているのかもしれません。昔はあまり良いイメージではなかったんですが、最近は得意な部類に入ったのかなと思います。

― クラシックでは、どんなレースを見せてくれますか?

福来理想は1マークで早めに決着をつけて、そのまま逃げ切りたいですね。上手な方ばかりなので、競り合いになると…。

メンバー自体はSGもGIもそれほど変わらないけど、トップ戦線を走られている方はいつも以上に気持ちが強くなると思います。自分も負けないように、強い気持ちを持って臨みたいです。

― では、最後に抱負をお願いします。

福来手が届きそうで届かなかったSGに、やっと出場できます。チャレンジャー精神を持って臨みたいですね。同期では出畑孝典君と石橋道友君がSGで優出しているので、自分もそこまでは行きたい。そこから先は“神のみぞ知る”ですね。出るからには優勝を目指して頑張ります。

SGボートレースクラシック 歴代優勝者
開催年 開催場 優勝者
第1回 1966年 平和島 長瀬 忠義
第2回 1967年 住之江 竹内 虎次
第3回 1967年 住之江 石川  洋
第4回 1968年 戸 田 岡本 義則
第5回 1970年 住之江 加藤 峻二
第6回 1971年 蒲 郡 松尾 幸長
第7回 1972年 福 岡 石黒 広行
第8回 1973年 浜名湖 鈴木 文雄
第9回 1974年 常 滑 彦坂 郁雄
第10回 1975年 下 関 石原  洋
第11回 1976年 住之江 常松 拓支
第12回 1977年 下 関 山本 泰照
第13回 1978年 丸 亀 北原 友次
第14回 1979年 浜名湖 松尾 泰宏
第15回 1980年 蒲 郡 中本 逸郎
第16回 1981年 児 島 平尾 修二
第17回 1982年 下 関 彦坂 郁雄
第18回 1983年 平和島 高峰 孝三
第19回 1984年 常 滑 増沢 良二
第20回 1985年 平和島 黒明 良光
第21回 1986年 平和島 古川 文雄
第22回 1987年 蒲 郡 国光 秀雄
第23回 1988年 戸 田 彦坂 郁雄
第24回 1989年 戸 田 高橋 博文
第25回 1990年 平和島 岩口 昭三
第26回 1991年 平和島 野中 和夫
第27回 1992年 蒲 郡 鈴木 幸夫
第28回 1993年 戸 田 植木 通彦
第29回 1994年 平和島 大森 健二
開催年 開催場 優勝者
第30回 1995年 平和島 服部 幸男
第31回 1996年 平和島 中道 善博
第32回 1997年 住之江 西島 義則
第33回 1998年 丸 亀 西島 義則
第34回 1999年 児 島 今垣光太郎
第35回 2000年 浜名湖 矢後  剛
第36回 2001年 尼 崎 烏野 賢太
第37回 2002年 平和島 野澤 大二
第38回 2003年 戸 田 西村  勝
第39回 2004年 福 岡 今村  豊
第40回 2005年 多摩川 笠原  亮
第41回 2006年 平和島 中澤 和志
第42回 2007年 平和島 濱野谷憲吾
第43回 2008年 児 島 松井  繁
第44回 2009年 多摩川 池田 浩二
第45回 2010年 平和島 山口  剛
第46回 2011年 戸 田 震災のため中止
第47回 2012年 戸 田 馬袋 義則
第48回 2013年 平和島 池田 浩二
第49回 2014年 尼 崎 松井  繁
第50回 2015年 尼 崎 桐生 順平
第51回 2016年 平和島 坪井 康晴
第52回 2017年 児 島 桐生 順平
第53回 2018年 浜名湖 井口 佳典
第54回 2019年 戸 田 吉川 元浩
第55回大会平和島優勝戦
2020年3月22日(日)・第12レース
●第46回大会は「SG東日本復興支援競走」として2011年8月に代替開催(優勝者・重野哲之)


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