the TALK

子供が自分の仕事をわかる年齢になったとき、
グランプリで優勝できるような選手でいたい-山崎
智也に達成して欲しいのは・・・グランドスラム!
地元ファンの前で、頑張ってもらいたい-廣町

ひろまち けいぞう
元ボートレーサー。1950年(昭和25年)10月19日生まれ。群馬支部・31期。
1971年5月、桐生でデビュー。84年2月、江戸川・関東地区選でGI初優出。80年3月、蒲郡・クラシックでSG初出場。山崎をはじめ、群馬の若手育成に尽力した。
2007年3月に現役引退。現在はJLC専属解説者として、SG・GI中継などでレース解説を行っている。通算勝率6.14、優勝回数46回。
元ボートレーサー。1950年(昭和25年)10月19日生まれ。群馬支部・31期。
1971年5月、桐生でデビュー。84年2月、江戸川・関東地区選でGI初優出。80年3月、蒲郡・クラシックでSG初出場。山崎をはじめ、群馬の若手育成に尽力した。
2007年3月に現役引退。現在はJLC専属解説者として、SG・GI中継などでレース解説を行っている。通算勝率6.14、優勝回数46回。
やまざき ともや
1974年(昭和49年)3月11日生まれ。群馬支部・71期。
1992年11月、桐生でデビュー。94年10月、平和島・タイトル戦で初優勝。98年9月、桐生・周年記念でGI初優勝。97年8月の若松・メモリアルでSG初出場、2回目の唐津・ダービーで初優勝を飾る。昨年は最優秀選手に選ばれた。
夫人は元ボートレーサーの横西奏恵さん。同期には馬袋義則、海野ゆかり、深川真二らがいる。
1974年(昭和49年)3月11日生まれ。群馬支部・71期。
1992年11月、桐生でデビュー。94年10月、平和島・タイトル戦で初優勝。98年9月、桐生・周年記念でGI初優勝。97年8月の若松・メモリアルでSG初出場、2回目の唐津・ダービーで初優勝を飾る。昨年は最優秀選手に選ばれた。
夫人は元ボートレーサーの横西奏恵さん。同期には馬袋義則、海野ゆかり、深川真二らがいる。
桐生で、SGで、ナイター開催とくれば、主役は山崎智也に決まっている。その山崎を一番知る人と言えば、こちらも師匠の廣町恵三氏に決まっている。シャイな師弟の固い絆と、温かいトークから、ボート界が誇る最強レーサー・山崎智也の強さが見えてくる。
(インタビュー&構成/『マンスリーBOAT RACE』依藤研二)
山崎 智也 選手 データ室
(2016年7月18日現在)
(2016年7月18日現在)

◆通算成績 | |||||
---|---|---|---|---|---|
出走回数 | 優出 | 優勝 | 2連率 | 3連率 | |
通 算 | 4,991回 | 279回 | 81回 | 54.1% | 71.2% |
S G | 1,023回 | 39回 | 11回 | 42.3% | 61.4% |
G I | 2,042回 | 105回 | 30回 | 50.6% | 68.9% |
◆全国成績(最近3節) | ||||
---|---|---|---|---|
16年 | 7月 | 鳴 門 | SG・OC | 1 3 5 5 3 5 5 1 4 |
16年 | 7月 | 津 | 一般競走 | 6 5(途中帰郷) |
16年 | 6月 | 蒲 郡 | SG・GC | 1 5 2 3 4 1 1 1 |
◆桐生成績(最近2節) | |||
---|---|---|---|
16年 | 6月 | GI・周年 | 1 5 3 2 2 3 3 1 1 |
16年 | 5月 | タイトル | 1 3 1 3 1 1 1 2 |
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師匠も弟子もシャイな性格 初会話はデビュー2節後に
―山崎選手と廣町さんは、もともとお知り合いだったのですか?
山崎 いえ、本栖研修所を出て群馬選手会支部へデビュー前の挨拶へ行ったときに「太田地区だったら廣町さん」という感じで紹介していただきました。
廣町 まだ持ちペラ(※1)の頃で、プロペラを延ばして加工できるペラ小屋はウチくらいしかなかったからな。
山崎 僕がデビューした頃、それまで主流だったヤマトの「ベンツマーク」という型のペラが生産中止になって、早く新しい型のペラを使えるようにするしかない状況でした。
廣町 プロペラを延ばして、叩いて、「練習に持って行ってみろ。それが良かったら使ってみろ」と言って渡したのが、初めての会話(笑)。それまではウチに来ても話したこともなかった。
山崎 お互い人見知りだったんで(笑)。デビュー2節目が終わった頃です。結局、廣町さんも「こっちの型はわからん」と言って、ベンツマークを1枚もらいました。
廣町 智也は練習によく行っていたな、電車で通って。
山崎 僕は高校3年の夏に中退して本栖に入ったので、運転免許を持っていなかったんです。阿左美駅からレース場まで歩いて練習に行っていました。ベンツマークをもらったときは、駅に着くと廣町さんが待っていてくれたんです。「智也は○分に阿左美に着く電車に乗って練習に来るはずだ」って。「これを練習で使ってみろ」とペラを渡してくれて、そのまま車でレース場まで送ってくれました。あのペラでムチャ成績が良くなりました。
※1 選手持ちプロペラ(持ちペラ)制度
1988年から始まった制度。プロペラを選手の個人所有とし、レースには前検日に持参したプロペラを使用する(持込枚数の制限あり)。作業場の確保や維持の必要などからグループでプロペラを作る選手も多く、「BPクラブ(東京)」「イーグル会(岡山)」「我勝手隊(福岡)」など全国にプロペラグループができた。2012年3月末で廃止。
廣町夫妻合作のペラを手にGI初出場の関東地区選へ臨む
廣町 確か蒲郡だよな、ペラを壊したのは。
山崎 はい。蒲郡を走っている最中にGI初参戦(1995年:戸田・関東地区選)が追加あっせんで入ったんですが、その蒲郡でいつも使っているペラを壊してしまって・・・。蒲郡が終わった次の日が地区選の前検だったので、レースが終わってすぐに廣町さんに電話しました。「ペラを壊して使えるペラがないんですけど、どうすれば良いですか?」って。次の日の朝、廣町さんの家へ行くと、奥さんと一緒にペラを延ばして、叩いて、削って、1日がかりで全部仕上げてくれていました。
廣町 ペラは炙(あぶ)って延ばす作業だから、一人では難しい。女房に炙ってもらっているところを、オレが延ばすって作業だった。
山崎 ペラ全盛の頃だったんで、レースが終わると、ほぼペラ小屋にいましたね。
廣町 智也はレースの次の日、ウチに来るのが早かったもんなぁ。朝8時くらいには来ていた。
山崎 僕よりも早く、廣町さんがやっているから。
廣町 ペラの飲み込みも早かったよ。ウチの女房に聞くと、オレが前の節の調整について喋っているとき、一番熱心に聞いていたのは智也だったんだって。「本当に(調整を)頭のなかに入れていたのは智也だね」なんて言ってた。
山崎 要領が良いだけです(笑)。
廣町 女房は見る目あるよ。智也がウチに来てからずっと「智也ファン」で、今でも智也の追っかけみたいなもんだから(笑)。まだ丸刈りだった頃から、紅顔の美少年だと言っていた。
山崎 本当に? 初耳ですよ(笑)。
SG初優勝がヤマトペラ全盛期の幕開けを告げた
―山崎選手はデビュー5年目の1997年、唐津ダービーでSG初優勝されました。ヤマト製のプロペラ初のSG優勝です。
山崎 あのときのペラも、廣町さんが「これが良いからやってみろ」って渡してくれたものでした。
廣町 あのレースは服部(幸男)が捲っていったんだよな。西田(靖)はコースを取りに来るし・・・凄いメンバーだったな。その後、ナカシマも使ったんだろ?
山崎 いえ、僕はずっとヤマトで、ナカシマは1回くらいです。ヤマトは回転が上がるのがタイプ4、タイプ5が伸び型、タイプ6が出足型でしたよね。
廣町 タイプ5が使いやすかった。
山崎 廣町さんは伸びが好きだったから(笑)。
2人の思い出のレースは一緒に走った桐生・笹川賞
―お二人にとって、「思い出のレース」と言えば・・・。
山崎 やっぱり98年の桐生・笹川賞(現・オールスター)の準優じゃないですかね。
廣町 オレの最後のSGだったし、地元だったから。
山崎 廣町さんが相手だとやりにくいと言えばやりにくいけど、本番になれば1周1マークは何も考えずに行きますから。後になって、「一緒に走れて良かったな」というレースです。
廣町 あのときは、優勝戦でリングを換えて優勝したんだよな?
山崎 違いますよ、それはGIのときです。桐生の記念で優勝戦に乗って、「朝イチの試運転で、第1レースに乗る人と足が一緒」っていう話をしたら、「新品2本いってみろ」とアドバイスをもらって。リングを2本新品に換えて優勝戦に行ったら、ムチャ出ていて優勝できました。
廣町 今でも足が悪いときは本体整備をやって欲しい。やれって言っているんだけど・・・。
山崎 最近は本体の比重がデカくなっているのはわかります。良いエンジンと悪いエンジンの差はすごいです。整備もやらなきゃとは思っていますけど・・・。
廣町 それでも、一時期のトンネルに入っていた頃よりも、エンジンの出方は良くなってきている。
山崎 結婚する前の時期ですね。グランプリに行けなかった頃です。あの頃は焦りしかなかった。2007年に廣町さんが引退されて、ペラ小屋に行っても教えてくれる人はいなくて、「今までずっと、廣町さんに助けられていたんだな」と実感しました。
廣町 そんなことないだろう。07年、10年とグランプリシリーズを優勝しているし・・・。
山崎 本当にずっと思っていましたよ。「廣町さんに助けられていたんだな」って。
SG第44回ボートレースダービー
(1997年10月12日・優勝戦)
▲2連単 3-6 1,960円(11番人気)
▲決まり手=差し
SG第25回ボートレースオールスター
(1998年5月23日・準優勝戦)
▲2連単 2-3 2,210円(8番人気)
▲決まり手=捲り
今から5年後、10年後もグランプリを勝てる選手に
―そんなトンネルから抜け出すキッカケは何だったのでしょうか。
山崎 後から考えると、浮上のキッカケは結婚(10年)しかなかったですね。
廣町 12年のグランプリのとき、前付けに行かなかった? これはヤル気入っているなぁと思っていた。
山崎 初日の6号艇のときに前付けに行きました。カミさん(横西奏恵夫人 ※2)が引退を発表して、ハンパなく気合入ってましたから。
山崎 去年のグランプリは、エンジンが全く出ていなかったんです。でも、出ていないのは仕方がないから、気持ちで負けたら終わりだと思っていました。天下のグランプリだから、そう簡単にはみんな勝たせてくれないし。
廣町 そういうときの方がスタートに集中できるんじゃないかな? 智也は身体能力もだけど、心臓の器もデカい。負けず嫌いだし。じゃんけんで負けるのも嫌いなくらい(笑)。負けず嫌い、プラス心臓が大きくて動じないところがある。
山崎 最終日はペラも別の形に叩き変えて、マシになっていました。エンジンが出ていた石野(貴之)が「スタートで放った」って言っていたので、展開にも助けられましたね。
廣町 智也のインコースはハラハラ、ドキドキする。5、6コースの方が安心して見られるくらいだよ。
山崎 去年は、グランプリ前に子供が生まれたのも心強かったです。出産に立ち会ったんですけど、見ているだけでも耐えられないのに何もしてやれんかったから。自分はレースで頑張らないと、と思いました。
廣町 トップの女流レーサーを引退させたんだから、責任感じないとな(笑)。
山崎 今は、下のチビがわかるようになったときに、グランプリで優勝できるような選手でいたいと思っています。5歳くらいでわかってくれたら良いかなぁ。
廣町 5歳じゃ無理だよ。あと10年はトップレーサーでいないと。
山崎 頑張ります。
悪いエンジンの立て直しには大きな部品交換も必要
廣町
6月の蒲郡グラチャン、準優の2コース捲りは圧巻だったよなぁ。あれがあったからこそ優勝できたようなもんだよ。
山崎 たまたま決まりました。
廣町 智也は全速スタートだから、様子見がない。その分、ダッシュから少しのぞく。外から来られると捲らせないし、攻め屋だから自分で先に行きたくなるタイプだよ。4日目の3コース捲りのように。
山崎 あれは4カドに締められたけど、逆に伸びて乗っかって、そのままみんながいなくなって決まりました。
廣町 レースを見ていると、ターン出口の返りがあるときは捲りが決まっている。今はエンジン抽選運で左右されるから、悪いエンジンのときに大きい部品交換を考えていかないと、なかなかこのエンジンには対応できないと思う。ペラだけでは知れている。奥さんの横西さんが現役の頃、下関のときだったかな。新品のシリンダーブロックに換えていて「さすがだなぁ」と思ったことがあるよ。
山崎 カミさんは僕より整備をやるタイプだったから(苦笑)。
廣町 奥さんとレースのことはあまり話さないらしいね。そこが良いんだろうけど、エンジンが出ていなくて勝ってきたときは「巧かったねぇ」とか言われない?
山崎 元選手なんで、エンジンが出ていないのはわかるんですよ。去年のグランプリも「よくあれで勝ったねぇ」って言われました。
―お二人の地元である、桐生の水面やエンジンはどうでしょう?
廣町 智也は4月のダイヤモンドカップで優勝したけど、あのエンジンは大したことなかったな。よく優勝したなと思う。6月の周年は出ていたけどダメだった。周年で飯山泰が乗っていたエンジン(31号機)が良さそう。ただ、去年のエンジンの方が差が大きかったように感じる。そのせいかGIの最後の方はインが強かった。
山崎 桐生の水面は、昔はインが弱かったんですけど。昔はスタートを張り込まないと、先行されたら終わり、みたいな感じで。
廣町 昼は気温が高いから、向かい風ならダッシュが利くけど、ナイターになると外から勝つのは難しいな。
山崎 でも、走り慣れた水面であることは、やっぱり大きなメリットです。ペラの方向性もわかります。
廣町 智也は1マークの思い切りも良いよな。桐生で外から勝つレースも多い。
地元のメモリアルを制してグランドスラムを目指す
山崎 メモリアルは歴史のあるSGだし、カッコ悪いところはなるべく見せないようにと思っています。
廣町 地元ファンの前で、頑張ってもらいたいな。
山崎 地元だから、記者さんたちも盛り上げてくれるでしょう。調子に乗りやすいタイプなんで(笑)、それに乗っかって行きます。
廣町 あと、智也に達成して欲しいのは・・・グランドスラム! クラシック、メモリアルがまだだな。あとオーシャンカップとチャレンジカップも獲ってほしい。
山崎 まずはクラシック、オールスター、メモリアル、ダービー、グランプリの5大競走(※3)制覇を目標に。
廣町 関東のレーサーで2回もグランプリを獲った者はいないし、何でもできるよ。
山崎 今回は地元ですし、5大競走のメモリアルですから。狙っていきます!
※2 横西奏恵
徳島支部の元・女子トップレーサーで76期の本栖チャンプ。レディースチャンピオン3回の優勝をはじめ、SG・GI戦線で活躍した。2012年12月、大村・第1回クイーンズクライマックスを最後に引退。通算勝率6.84。GI優勝2回、SG優出2回。
※3 5大競走
グレード制導入前の呼び方で、クラシック(鳳凰賞/総理大臣杯)・オールスター(笹川賞)・メモリアル(モーターボート記念)・ダービー(全日本選手権)・グランプリ(賞金王決定戦)を合わせて「5大競走(ビッグレース)」と呼んだ。その後グラチャン、オーシャンカップ、チャレンジカップが増え、現在のグランドスラム対象SGは8つ。なお、グランプリシリーズ戦は対象レースに入らない。