the INTERVIEW

「64年ぶりの徳山SG。選手生活37年、そこに自分がいられることが、幸せです」

いまむら ゆたか
1961(昭和36)年6月22日生まれ。山口支部・48期。 1981年5月・徳山でデビュー、デビュー戦で初勝利を挙げる。 デビュー半年でA級昇級、1年3ヵ月目の82年7月、丸亀・周年記念でGI初優勝。3年1ヵ月目の84年4月、浜名湖・オールスターでSG初優勝を飾った。その後もSG・GIを中心で活躍、74期連続A級を守っている。


徳山で64年ぶりにSGが開催される。地元から出場するのは今村豊、白井英治、寺田祥の3選手だ。地元SGへ、今村も感謝の気持ちで臨む。全盛期を過ぎた自分を見つめ、その上で最大限の挑戦をする。その道を極めた者にしかわからない世界がある。変わらないスタンスを持ち続けて走る今村の言葉は、その一つひとつが、重い。

(インタビュー&構成/『マンスリーBOAT RACE』鈴木隆史)

あっという間の選手生活37年

― プロになって37年です。

今村 あっという間でしたね。未来は遠いけど、過去は近いですよね。長寿の方も「人生はあっという間だ」と言われますけど、本当にそのとおりだと思います。まあ、それだけ良い思いをしてきたからなのかな。

本栖の転覆回数は断トツ1位

― 本栖の転覆王と言われましたね。

今村 本栖(研修所)の生活は、ハッキリ言って地獄でした。もう二度と経験したくない。楽しいことは何ひとつありません。
 僕は転覆が多くて、2番目に転覆した人の倍以上は経験していると思います。最初は右回りで転覆したんですよ。ピットに戻るときに右回りするんですが、教官が「全速で行っていい」と言われたので、僕は握って旋回したんです。あとから思うと、直線で全速という意味だったんでしょうけど、僕は旋回のことと勘違いしたんです。ものの見事にコケました。4回転くらいしたと思います。右回りで転覆した経験があるのは僕だけでしょうね(笑)。
 なぜ転覆が多かったかと言えば、下手だったからです。それしかありません。訓練では基本的に、ターンマークを外さない旋回を教えられます。外さないように回ろうとすると転覆するんです。その繰り返しでした。
 本栖時代の成績は良かったですよ。1等が多かったですね。勝率にすれば8点以上残していました。あるとき、実技教官で来られた脇辰雄さんに「先頭ばかり走っていたら練習にならんぞ」と言われました。それは教官からも指摘されていましたから、それからは、わざと後ろを走るようにしました。
 実技教官といえば、松野寛さんに訓練で勝ったこともありました。走り終えてから、松野さんに「おまえ、どこ(の支部)だ?」と、ちょっと怒ったように聞かれたことを覚えています。でも、松野さんに勝ったからといって、デビューしてからも勝てるとは思いませんでした。嬉しかったけど、自信にはなっていません。

 ※脇辰雄…登録番号1729。兵庫支部。尼崎の看板レーサーとして記念戦線で活躍した。
 ※松野寛…登録番号1592。静岡支部。差しの名手で、浜名湖・第34回メモリアル優勝歴。

80万円の大金にヒヤヒヤ…

― デビュー戦での思い出は?

今村 デビューしたときの思い出は、賞金ですね。1節走って80万円もらいました。当時は手渡しだったので、80万円を鞄に入れて電車に乗ったんですが、なくさないか心配で、ずっとその鞄から目が離せませんでした。80万円は大金でしたから、本当にヒヤヒヤしたんです。ボートレーサーになっていなかったら、月給8万円で働くつもりでした。その10倍の金額ですからね。それから何年か過ぎると、GIの優勝賞金500万円くらいが入った鞄を網棚に置いたまま、食堂車に行ったりしていましたけど(笑)。

真似と工夫、そして練習

― デビュー戦から素晴らしい成績です。

今村 デビュー戦で1着が獲れて、優出もできて、その後も結果が残せたのは、他人の真似をして、何度も練習をしたからだと思います。とにかく水面に出るのが好きでした。今もそれは変わっていません。
 練習も欠かさず行きましたね。デビューして1年で、本当にまぐれでGIを優勝したんですけど、その次の日も練習に行きました。皆から「おまえ、記念を獲ったんじゃろ?」と驚かれましたけど、僕にはそれが普通だったんです。デビュー1年でGIを勝てたのは、本当にまぐれですよ。自信じゃないですね。
 練習と言えば、前検日のスタート練習は普通5本なんですが、僕は10本やっていました。「あと5本、やらせてもらえませんか?」って競技本部にお願いに行くんです。ダメ元ですよ。断られても損はしませんからね。で、大抵はオッケーが出ますから、僕だけほかの人の倍、10本練習ができたんです。初日に1人だけスタートを決めて、ぽんと捲って勝ったりしていました。ドリーム戦で結果が良かったのも、それが理由だと思いますよ。

― あの待機行動も誰かが先に?

今村 待機行動中に四角く回ることを始めたのは、デビュー戦からです。本栖では6コースの取り合いでしたから。実際のレースでは、ほかの選手は6コースに来ませんから、自分が定時定点のスタートがしやすい方法を考えたんです。自分が走るところの引き波が少ないという利点もあります。
 僕は他人の真似をすること、それを自分に合うよう工夫することでレースを覚えて行ったんですが、待機行動中に四角く回ることは、自分で考えたことです。

― モンキーターンはどうでしょう?

今村 モンキーターンにしたって、実は僕、かなり早くから取り入れていたんです。知らない人は「今村はモンキーをやらなかった」と思っているかもしれませんが、やったのは早かったんですよ。
 飯田加一さんがモンキーをしていて、それを真似てみたんです。最初は住之江でした。そうしたら「危ないからやめろ」と注意を受けて、仕方がないから次の下関でまたモンキーをやりました。そうしたら、また注意されて。結局、それっきりモンキーはやめたんです。植木通彦らがやり始めて広まったのは、それからでした。そのときはもう、僕はモンキーをする必要を感じなかった。だから、やらなかっただけです。成績も落ちていませんでしたよ。
 だけど、負けると周囲から言われるんですよね。「今村はモンキーをしないから勝てない」って。そう言われるのが嫌で、モンキーをするようになったんです。だから、始めたのが遅かったと誤解されたんです。

 ※飯田加一…登録番号2679。東京支部。今は主流となっているモンキーターンの考案者。

初めて勝ったダービーが一番の思い出

― SG最短出場記録(1年1ヵ月目)を持っておられます。

今村 SGに初めて出場したのが1982年の住之江・笹川賞(オールスター)でしたけど、実は前年の10月、デビュー期の最後が住之江だったんです。勝率5.70くらいで、A級勝負でした。そのときの成績が良くて、勝率6点台でA級に昇格できたんです。住之江はその後、2月にも走らせてもらいました。このときも優勝はできなかったんですが、1着や2着ばかりの成績で優出しました。
 この2回の出走が大きかったと思います。このときに住之江のお客さんに名前を覚えてもらって、それがファン投票に繋がったんでしょう。16位での選出でした。ツキのようなものは感じましたよ。

― 一番の思い出のレースは?

今村 37年を振り返って、思い出のレースを一つあげるとしたら、初めてダービーで優勝したとき(87年・平和島)ですね。
 ダービーは目標でした。デビューしたときは目標とも言えない、遠い夢でした。全日本選手権ですからね。日本一を決める最高峰のレースが、ダービーです。デビューした頃はまずA級になりたい、その次は記念に呼ばれたい、それが目標です。
 なかでも、加藤峻二さんは憧れの選手でした。あんなふうになりたい、そう思っていました。だから、全日本選手権を勝てたのは本当に嬉しかった。夢みたいでした。

平和島
第34回全日本選手権 優勝戦
着順 枠番 選手名 年齢 進入 ST
1 5 今村  豊 26歳 4 06
2 2 安岐 真人 42歳 1 14
3 6 小澤 成吉 48歳 2 16
4 1 小畑 建策 39歳 6 15
5 3 彦坂 郁雄 46歳 3 10
6 4 黒明 良光 39歳 5 10

▲2連単 5-2 1,950円
▲決まり手=差し


平和島でダービー初優勝。
記者会見では涙をみせた

この年齢でSGを走れることは幸せ

― 徳山のSGは初めてですよね。

今村 SGだからといって、徳山だからといって、特別なことをするわけじゃありません。ぜんぜん力みはありませんよ。普段どおりです。どのレースも僕にとっては同じ。目の前のレースに全力を出すこと、その気持ちは同じです。
 僕は、自分が走るレースにグレードをつけたことは一度もありません。レースにグレードがついているだけです。優勝戦も予選も同じです。「一般戦だから、今村は無理しないじゃろ?」と考えるお客さんがいるかもしれませんが、一般戦用のスタートなんてありません。
 反対に、一般戦だからこそ無理をしなきゃいけないことだってあるんです。それは人気です。一般戦を走るときは僕に期待して舟券を買われる方が多いわけですから、負けるわけにはいかないんです。1番人気を背負って、信頼されるほど、責任が重くなります。負けられないんですよ。一走たりとも、スタートで遅れるわけにはいかないんです。

― SGでも普段どおり、ですか。

今村 でも、今度のグラチャンが15年くらい前にあったら、気持ちは違っていたかもしれないですね。「優勝しちゃろ!」と思ったかもしれない。
 ボートレーサーのピークは42~43歳です。それより後にピークを迎えた人を、僕は知りません。成績じゃないですよ。ピークを過ぎてからSGを優勝したり、そういったことはあるかもしれないけど、ピークは42歳から43歳です。
 僕はもう、とっくにピークを過ぎています。今こうしてSGを走ったりできるのは、それだけで幸せなんです。感謝です。この年齢になって、記念レースに出場できるなんて、こんなに嬉しいことはありませんよ。
 それに、徳山でSGが開催されるのは64年ぶりなんでしょ? そこに自分がいるなんて想像したことがありません。そこは、ほかのレースと違う感情がありますね。

― 近況好調なのは気持ちの表れでは?

今村 最近調子が上がってきているのは、モーターが出るとか、そういったことではなくて、乗艇姿勢を思い出したんです。
 2年前の尼崎で、人生初の骨折をしたんです。それから、ちょっと骨折をした足をかばうような乗艇姿勢になっていて、それまでの姿勢を思い出せずにいたんです。「何か違うな」って思いながらレースに行っていました。
 それがようやく、取り戻せた気がします。以前と同じかと言われるとよくわかりませんが、しっくりきているんです。

辞めるのは簡単だが、決めるのは難しい

― 引退を考えたことはありますか?

今村 引退は近いと思います。でも決められない。引退することは簡単だと思うんですが、それを決断するのが難しい。誰かに背中を押して欲しいんです。女房は押してくれません。「自分で決めてよ」って言われます。A2級に落ちたらとか、B級になったらとか、そういったこともあるんでしょうけど、決められませんね。
 若いときよりも、いろんな部分で劣化しているのは感じます。瞬発力とか、息切れとかね。ただ、ボートに乗る筋力だけは、今のほうがあるんですよ。そりゃあ、ずっとボートに乗ってきたんですから。でも、それ以外のところは衰えてきますよね。
 結局、負けても悔しくなくなったら辞めるときかなと思うんですけど、悔しくなくなることはないんじゃないかな。ああ、同僚と相撲を取って負ければ悔しいけど、相撲取りと相撲をして負けても悔しくないですもんね。力の差をハッキリと認めたときが、辞めるときなのかもしれないですね。
 僕らの競技は、お客さんが命の次に大切なお金を賭けているんです。だから、舟券を僕に託して外せば、お客さんは悔しいと思うんです。それなのに、負けた本人がへらへら笑っていたら、失礼でしょ?
 僕が心掛けているのは、舟券を買ってくれた人に納得してもらうことです。全部のレースで1等を獲れるわけじゃないんですから、負けても納得してもらえるような、そんなレースを続けなきゃいけないんです。それができなくなったら、辞めるときなんでしょうね。漠然としていますよね。
 加藤峻二さんみたいに長く走ることはないと思うんですけどね。加藤さんは憧れの方ですから。その人を抜いてはダメでしょ(笑)。


今村  豊選手 データ室 (2018年5月15日現在)
◆通算成績
出走回数 優出 優勝 2連率 3連率
通算 7,723回 394回 139回 56.8% 71.9%
SG 1,440回 47回 7回 43.8% 62.0%
GI 4,142回 180回 48回 51.5% 67.2%
◆全国成績(最近3節)
18年 5月 宮島 GI・周年 3 4 4 2 4 4 4 2 4
18年 4月 徳山 タイトル(GW戦) 2 1 2 1 1 1 2 2 1 2
18年 4月 福岡 GI・マスターズC 1 1 4 2 3 1 1 5
◆徳山成績(最近2節)
18年 4月 タイトル(GW戦) 2 1 2 1 1 1 2 2 1 2
18年 2月 一般競走 1 1 1 4 1 1 1 2 1 1

64年ぶりの徳山SG。2つ目のSGタイトル獲得へ、全力で挑む!
3897白井英治(山口)
いつもどおりベストを尽くす

 「今年をここまで振り返ると、悔いが残るレースもありましたけど、自分の中では、そこそこは順調に来ているとは思っていますよ。F休みも終わり、新期に入ったし、勝負はこれから。後半戦から勝負ですね。
 3月に戸田周年で非常識のF(インから+09)を切ったので、F休みの間は碧南(日本モーターボート選手会常設訓練所)へ訓練に行っていました。それと、海外旅行に行ってリフレッシュもして来ました。最近はエンジンの引きが悪かったしね。徐々にレース勘を取り戻して、これから続くSG、GIで頑張りたいと思っています。
 徳山で64年ぶりのSG戦が行われるのは有り難いことですけど、そこのところ(64年ぶりのSG開催)は僕よりも今村さんに聞いたほうが良いんじゃないですかね(笑)。徳山にしろ、下関にしろ、地元でのSGは気合も入りますし、獲りたいとは思っています。ただ、地元のSGだからといって特別なことをするわけではないですよ。いつもどおりにやるだけです。そう、いつもどおり、ベストを尽くすだけですよ」


3942寺田祥(山口)
出場できて、本当に良かった

 「出場できて、素直に嬉しいです。下関も地元だけど、徳山のほうが家からも近いし、GIを初めて勝てた(05年・中国地区選)水面なので。出場できて本当に良かったと思う。
 徳山では6連続優出中、そのうち優勝が4回。一般戦が多いけど、今年のGW戦でも優勝できて、しっかり戦えているなって感じています。ただ、グラチャンはエンジンもプロペラも違うので、実際に乗ってみないと何とも言えません。地元のアドバンテージはそんなにないと思うけど、ある程度良いエンジンが引ければそこそこやれると思います。
 去年は若松メモリアルでSGをやっと勝てたし、これまでで一番良い年だった。SGでなかなかチャンスがなかったけど、チャンスをしっかりとモノにできました。グランプリでは少し調整を合わせ切れなかったので、そこは悔いが残りましたね。
 だから今年も、目標はグランプリ出場です。1stステージからでも良いから、何としてもベスト18に入りたい。調子は去年と比べて全然良くないから、グラチャンで頑張って、結果を出して、調子を上げていきたいと思っています」