激闘プレイバック
優勝戦結果
(1998年6月28日・第12レース)
| 着順 | 枠番 | 選手名 | 支部 | 進入 | ST | タイム |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 上瀧 和則 | (佐賀) | 1 | 22 | 1.49.0 |
| 2 | 6 | 北川 幸典 | (広島) | 6 | 13 | 1.49.7 |
| 3 | 5 | 植木 通彦 | (福岡) | 5 | 11 | 1.51.4 |
| 4 | 3 | 小畑 実成 | (岡山) | 3 | 07 | |
| 5 | 1 | 山崎 昭生 | (香川) | 2 | 13 | |
| 6 | 4 | 荘林 幸輝 | (福岡) | 4 | 09 |
▲決まり手=逃げ
北川一成&幸典親子の夢、敗れる。
上瀧が有言実行のイン逃げで圧勝!
1961年のメモリアル以来、37年ぶりの宮島SG開催となったグラチャン。
優勝戦には地元から北川幸典が乗ってきた。37年前のメモリアルでは父親の北川一成が優勝戦に乗っていたが、結果は5着。今回は幸典に優勝を期待したいところだったが、モーターの仕上がりは、2号艇の上瀧が大きくリードしていた。加えて、4日目には準優当確の大嶋一也がフライング、準優では初日から5連勝で勝ち上がっていた松井繁がまさかのスタート遅れで敗退。主役不在の優勝戦となり、強力なピット離れの上瀧が「インを取って逃げる」と強気なコメントをしていた。
優勝戦では、上瀧が公約どおりにインを取ってあっさりと逃げ切った。地元期待の北川は2マークで2着に浮上、地元の意地をみせた。
優勝戦結果
(2000年7月20日・第12レース)
| 着順 | 枠番 | 選手名 | 支部 | 進入 | ST | タイム |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 西島 義則 | (広島) | 2 | 33 | 1.47.6 |
| 2 | 5 | 植木 通彦 | (福岡) | 6 | 24 | 1.48.6 |
| 3 | 6 | 今垣光太郎 | (福井) | 4 | 27 | 1.50.5 |
| 4 | 4 | 古場 輝義 | (大阪) | 3 | 25 | |
| 5 | 3 | 島川 光男 | (広島) | 5 | 21 | |
| 6 | 1 | 小野 信樹 | (岡山) | 1 | 31 |
▲決まり手=抜き
西島が渾身の差しで逆転優勝!
祖父の表彰式登場に思わず涙...。
西島は地元SGに向けて「死ぬ一歩前まで努力してみよう」と体重を50kgまで絞っていた。2年前のグラチャンで「何もせんうちに終わった」ことが、ずっと尾を引いていた。「今度こそ」の気持ちで、2号艇で優勝戦に乗ってきた。
優勝戦は地元の島川が2段捲りを敢行、大外から差した植木とデッドヒートに。2周ホームで植木が島川を締め込む。たまらず島川が引いた瞬間、西島の全速差しが決まった!
表彰式にはサプライズが用意されていた。西島が育った島根県柿木村から、95歳になる祖父の田原郡市さんが駆けつけていたのだ。「じいちゃん、まだまだ優勝できるよう、がんばるけんね」。西島はその年、グラチャンとメモリアルで優勝し、SG3連続優勝を成し遂げた。
優勝戦結果
(2002年6月30日・第12レース)
| 着順 | 枠番 | 選手名 | 支部 | 進入 | ST | タイム |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3 | 今垣光太郎 | (福井) | 3 | 17 | 1.47.2 |
| 2 | 5 | 濱野谷憲吾 | (東京) | 5 | 18 | 1.49.7 |
| 3 | 6 | 伊藤 誠二 | (愛知) | 6 | 08 | 1.50.5 |
| 4 | 4 | 高濱 芳久 | (広島) | 4 | 18 | |
| F | 1 | 西島 義則 | (広島) | 1 | +09 | |
| F | 2 | 熊谷 直樹 | (東京) | 2 | +06 |
▲3連単 3-5-6 890円(3番人気)
▲決まり手=恵まれ
西島、熊谷が意地のスリット合戦!
史上最高の24億円超の大返還に。
48.5kgで前検入りした西島が2日目から6連勝、1号艇で優勝戦に乗ってきた。当時の優勝戦の枠番決定は準優1号艇の選手による抽選で、自らが抽選で引いた優勝戦1号艇だった。2号艇に熊谷、3号艇に今垣。熊谷は「2コースから勝てるレースを考える。秘策はある」と挑戦意欲を燃やしていた。
優勝戦は「絶対に負けられない」西島と、チルトを0.5度に上げた熊谷の内2艇が仕掛けた。早い起こしだが、どちらも引けない。1マークを回った瞬間、西島と熊谷にフライングが宣告された...。
2艇が退いた後には今垣が独走していた。「熊谷さんがチルトを上げていたので、差すチャンスはあると思った」。このときの返還額24億3500万円は歴代最高である。