the INTERVIEW

「SGはしんどいけど、出られるのは幸せ」
“岡山支部のお母さん”寺田千恵が地元ダービーに挑む。


寺田が選手生活30年目にして初めて弟子を持った。常に前を見て戦い続けてきた寺田だが、教える立場となってからは、基本の復習が増えた。弟子とともに、自身を根本から鍛え直している。
ダービーは今回で8回目、SGは39回目の出場だ。「母親くらいの感覚」で弟子を、岡山支部の後輩たちを見てきた寺田が、地元の大舞台で見せるのは、自身の集大成か、それともさらなる可能性か。 (インタビュー&構成/『マンスリーBOAT RACE』依藤研二)

てらだ ちえ
1969年4月11日生まれ。岡山支部・65期。
1989年11月、若松でデビュー。94年12月、宮島・女子リーグで初優勝。2007年2月、徳山・レディースCでGI初優勝を飾る。SGは00年8月、若松・メモリアルで初出場、01年6月、唐津・グラチャンで女子初のSG優出を果たした。その後、立間充宏と結婚して福岡から岡山支部に移籍。同期に大賀広幸、柏野幸二、大平誉史明らがいる。

◆通算成績

出走回数 優出 優勝 2連率 3連率
全種別 6,842回 298回 67回 50.5% 69.1%
S G 308回 1回 0回 17.2% 31.8%
G I 608回 14回 2回 33.7% 52.6%

(2019年9月3日現在)

◆全国成績(最近2節)
19年 8月 蒲郡 GI・レディースC 634136134
19年 7月 若松 一般競走 3121344233
◆児島成績(最近2節)
19年 7月 一般競走 12112313431
19年 3月 GII・レディースAS 42133111

寺田千恵50歳。“師匠”はじめました。

― 最近、お弟子さんを取ったそうですね。

寺田安井瑞紀ちゃんですね。弟子の面倒を見るのは初めてなんですよ。頼まれなかったのもあるけど、持ちたいとも思っていませんでした。師匠業って、その人の選手生活を背負うことなので、できるなら持ちたくなかったんです。

― それなのに、なぜ?

寺田彼女が師匠を探しているときに何節か一緒になったんです。頼まれたときは「選手をあと何年やれるかわからないから、責任を持ちかねる」って断ったんですけど、「何年かだけでもいい。教えてもらいたいことがいっぱいあるんです!」と諦めてくれない(苦笑)。

まあ、私が辞めても主人(立間充宏)がもう少し選手をやっているだろうし、それだけの覚悟があるなら、という感じで受けました。

― 初弟子の印象は?

寺田安井ちゃんはホント、今どきの子です。昔みたいな上下関係って感じはなくて、母親くらいの感覚で接してもらっています。今朝も「唐津、行ってきます」ってLINEが来ました。今は一つ一つのことを一緒に、楽しんでやっています。

住之江で一緒になったときは、ピット離れを教えました。競技本部で「この先輩が上手いから」と、ビデオを観て研究したんですが、何回も同じ場面ばかり繰り返して観るから、事務のお姉さんがめっちゃ笑うんですよ。

次に安井ちゃんが住之江に行ったときには、もうピット離れができるようになっていました。「あのとき練習した成果があったね、って言われました」って、嬉しそうなLINEがきました。

― 寺田さん自身の世代とは違いますね。

寺田私は「ナニクソ!」って気持ちだけで生きてきましたから。陸の上で怒られても、水面に出れば何でもOK。「明日は絶対に捲ってやろう」って思っていました。

実際、先輩に言われたことがあるんですよ。「今は反省しましたって顔をしているけど、明日捲ってやろうって思っているんでしょう」って。心の中で「はい」って返事をしました(笑)。

今の子は、「ナニクソ!」ってなりませんね。「この人を踏みつけてでも上に上がってやろう」っていうのが、教育で植えつけられていません。安井ちゃんも「一緒にレディースCに行きたい」と言っています。年齢のこともあるので、「行くなら早く」とお願いしています(笑)。

― 師匠になって、変わったことは?

寺田基本の復習がプラスされました。自分ができないことは教えられません。若い子の刺激になるには、自分をアップデートしていかないといけないし…。辞めるまでの期間が長くなった気がします。

メンタル指導

『寺田ノート』で自分の基を作る

― どういう指導をされているんですか?

寺田まず最初に、3ヵ月くらい時間をもらって、項目別に伝えたいことを書いたノートを作りました。

「このノートは基本の基です。これに、貴女が『あっ』と思ったことや、気づいたことを足していってください。内容のあることを書けるようになったら、“貴女だけの教科書”ができるから」と話しました。

― 書くだけで良いんですか?

寺田ただ仕事をしているだけでは、何も書けません。大事なのは「あっ」と思い、自分で分析し、解決することです。納得できなければ、自分の考えや質問を私にぶつけてくると思います。

ターンの練習をするにしても、レースに使えると思って練習したのに、レースでは使えなかったとしたら、それは練習しただけなんです。何がダメなのか、どうして失敗したのかを把握して練習しないと、レースに行って使えるわけがない。自分で自分を分析できるようにならないとダメです。その考え方を教えるためのノートです。

過去の自分が、今の自分を支える

― まさに、育てる教科書ですね。

寺田私たちの仕事って、8割がメンタルなんです。行き詰まったときに、ノートを書いた自分が助けになってくれます。後になって見返すこともできます。このノートで自分流の基本を作り上げてほしいと願っています

私にもノートがあります。スランプのときは、特によく書きます。自分の気持ちとかも書くので、後で読み返すと「こんなに追い込まれていたのか…」って、笑っちゃいますよ(笑)。

技術指導

レースはターンマークとのタイマン勝負

― 技術面の指導はどうでしょう?

寺田ターンマークを見て回りなさい、と指導しています。レースをする上でまず大事なことは、ターンマークを見ることです。

「スピードがないなら握って回れ」とか、「踏み込んでハンドルを切れ」って指導する人もいるけど、「だったら自分でやってみ」と思いますよ。それって無理だから。

― ターンマークを回らないと競技になりませんが…。

寺田ボートレースの基本は「自分とターンマーク。ほかの5艇を考えてはいけない」です。そこができれば、ソコソコの成績は残せます。

デビューしたばかりの人は、ほぼ100%できていない。養成所でも教えているはずなんだけど、模擬レースが始まると「5艇と自分」になってしまってターンマークが消えちゃう(苦笑)。

なので、安井ちゃんには「ひたすらターンマークを回るように」と指導してきました。上手に回れるようになってからは、大敗が減っています。

ターンは「やりたい」より「やらなきゃ」

― ターンマークの回り方も様々です。

寺田勝ちたいなら、使えるターンをすること。上手なターンと、レースで使えるターンは全然違います。したいターンと、やらなきゃいけないターンも全然違う。捲りたいけれど差さないといけない、それがやらなきゃいけないターンです。その判断の基準となるのが、ターンマークなんです。

― また、ターンマークですか?

寺田ターンマークが見えていないと絶対に勝てません。ツケマイを行くにしても、ターンマークが見える状態だったら捲れますが、見えなければ、ただ外を回っているだけで捲れません。先に回っている人が、ターンマークを隠しているんだから。ターンマークが消えた時点で捲っても勝てない、そう判断して差さなきゃいけないんです。

差しに切り替えれば、ターンマークが見えます。勝機も出てきますが、ダメだと思ったときの切り替えが難しい。それをするために、自然に身体が反応するように練習しないといけないんです。

― 「やりたい」と「やらなきゃ」が一致すれば良いのでは?

寺田自分がやりたいターンができるのは1節に1回あるかないかで、8割がやらなきゃいけないターン、誤魔化しのターンです。 プロペラが合っていなくて、サイドが掛からないこともあります。掛からないのなら、掛けて回るしかない。1周目はプロペラのせいでも、2周目からは掛けて回れない自分のせいです。そういうこともノートに書きました。

それでも、自分のやりたいターンってあるんですよ(笑)。「やるな」とは言わないけど、やるためには点数や経験の貯蓄が必要です。

特技を持たない、オールマイティーは強い

― 寺田さんといえば、安定感抜群の7点レーサーです。

寺田勝率は運良く取れているという感じです。年齢を重ねているうちに体力が落ちて、経験値は増える。良いとこ取りをしていかないとついて行けないし、レースも時代によって変わっていきます。

私には突出した特技はないけど、行き足を良くして、スタートをちゃんと行って、どのコースからでもレースができるようにと思っています。優勝やタイトル、勝率は後付けで、少しずつできたり、できなかったりの平均点です。

― 仕事の上で、年齢を感じることは?

寺田習得するものを考えるようになりましたね。習得には時間も懸かるし、衰えていく部分もあります。習得すべきものは増えるばかりなので、何をするかを整理しないと。流行りにも乗っからないと、時代遅れになるでしょう?

プラスで、年齢差をカバーするくらいエンジンを出さないと厳しいとも感じています。そういうのは、辞めるまで続くことです。

― 後輩たちは大変だ。

寺田「先輩がそんなに頑張ったら、絶対に追いつかないです」って言われます。「若者は倍速で習得していかないといけないんだから、頑張らないと!」って話すと、守屋美穂ちゃんなんかは「そっかぁ」って。ぽかぁ~んとしてますよ(笑)。

そんな美穂ちゃんですが、7月に芦屋でGIIを勝って、ダービー出場へもう少しでした。一緒に出たかったですね。

― 年齢を重ねると、体のメンテナンスが必要だと思いますが?

寺田それが、何もしていないんですよ。やるのはゴルフくらいで。整体にも行かないし、ジムにも行かない。以前に股関節が痛い時期があったので、そのための体操をやるくらいですが、それもテレビを見ながらできます。それでも首も膝も悪くない。これって、ある種の才能じゃないですか?

― セサ〇ンとか、〇ロレラも不要なんですね。羨ましい。

寺田そうは言っても、もう50歳です。日高逸子さんが58歳。私があと8年、あのテンションでやれって言われたら、自信がありません。日高さんは痛い所を全く見せないけど、私は痛い所ができたら無理かな。

この先、何があるかわからないので、主人と「50歳を過ぎたら1年更新」に決めました。1年ごとに「もう1年やれるか?」「やります」みたいな感じです。あと「大ケガしたら即クビ」なので注意しています。

主人とはよく喋るほうだと思います。仕事については、持ちペラの頃と違うので、大体こんな感じと伝え合うくらい。困るのは「やっちゃダメ」って言っているのに、主人が飼っている犬にパンとかあげちゃうこと。柴犬なのに、くまモンみたいです(苦笑)。

問題に光明が見えたときの感覚が好き

― 長年トップの位置にいて、気持ちが折れませんか?

寺田私はこの位置に居るのが当たり前だと思ったことがないんです。自分が上手いと思ったことはないし、人より何かができるというわけでもない。勉強し続けないと居られないとやってきて、ラッキーでこの位置に30年いるのだと思っています。

だから、落ちても自分がダメになったとは思いません。「こんなもんだなぁ」って、また頑張るだけです。

― もしかして、研究熱心な学者肌?

寺田ある原因があって、それに対してどうするのかと考えるのが好きなんですよ。スランプのときほど、そこから抜けるときの“キラッ”ていう感覚が好きで、ワクワクします。



上で戦うのは、しんどいけど幸せなこと

― 大晦日決戦、PGIクイーンズクライマックスは第1回からフル出場ですよ。

寺田あれができて、正直しんどい。山川美由紀さんとも「しんどくなった」って話していました。賞金のことを考えないといけなくなりましたから。

私はあんまりお金の計算をしたくないタイプで、「頑張った結果が、この金額」っていうのが好き。なのに、今は「12人に残るために、ここで頑張らないと」と賞金を意識してしまう。

― それでも毎年、12人に残っています。

寺田夏のレディースCにしろ、年末のクイーンズCにしろ権利ものなので、選手をやっている以上は目指すのは当然。しんどいけど、そのしんどさも幸せなんですよ。行けなければしんどくない。行けるから、しんどいんです。

ただ、そこで勝てるかどうかはラッキーです。1年間頑張った選手が揃うんだから、「この人が絶対に勝つ」なんて、ないですからね。

― 他のレースとは違いますか?

寺田緊張します。その緊張がクセになる(笑)。この前の蒲郡レディースCでも、大山千広ちゃんから「緊張しませんか?」って聞かれました。千広ちゃんは1日緊張していたらしいんです。「緊張するよ。でも、この緊張やドキドキって、次にいつ味わえるかわからんよ。それで優勝って最高やん」って。

「緊張するのは嫌やけど、終わったら『今の緊張をまた味わいたい。この仕事をして幸せ』って思えるよ」って、話をしました。

田口節子に「岡山を背負え」と…喝ッ!

― 今年は岡山の女子が活躍しています。

寺田去年の終わりに、節っちゃん(田口節子)に言ったんですよ。「『岡山=寺田千恵』じゃなくて、田口節子でやってもらわないと困る。岡山女子を背負わせるのは止めてほしい。いい加減、ちゃんと走ってくれ」って。

そうしたら「事故点とかあるから、(今年の)4月まで勘弁してください」って。やればできる子なのは知っていますから、「4月までしか待たないよ!」って喝を入れました。

― 2人一緒のダービー出場は初めてですね。

寺田14年の常滑ダービーに一緒に出るはずだったんです。あのときは今回と状況が逆でした。節っちゃんが選出上位で、私はボーダーの下。「1人でダービーに行くのは嫌だから、絶対に来てください」って言われたから、めっちゃ頑張って出場権を獲りました。

それなのにアイツ、10月に入ってから“産休で欠場”って出なかったんです。結局、女子は私1人だったんですよ。「オマエ、いい加減にしろよ(笑)」って。

― そのこともあってか、田口選手の終盤の追い込みはすごかったです。

寺田「これで最後かもしれんから」「一緒に走れるの最後かも」「児島やし、頑張ってよ」って、ずっとLINEを送っていたんです。「やったらできる子やねぇ」って言ったら、「あっはっはー」って胸を張っていましたよ(笑)。

嬉しい苦痛とラッキーを探しに

― 8回目のダービー出場です。

寺田ダービーはこの前(17年・平和島)が最後かなと思っていました。けど、今村豊さんが「SGの中で一番」と言っている所にまた行けるんだから、テンションは上がりますよね。

1年間ずっと乗れていた人が出るSGなので、厳しい戦いになるのはわかっています。厳しいけど、嬉しい苦痛です。負けて元々、当たって砕けろって気持ちで行きますけど、行くと「頑張りたい」と欲が出ます。

地元の児島だし、どこかにラッキーが落ちていないか探してみます(笑)。