TO PARENTS
ボートレーサーとその家族

ボートレーサーの家族紹介

山田 祐也選手のご両親、赤井 星璃菜選手のお母様にお話を聞きました。

  • 山田 祐也選手のご両親に聞きました 山田 祐也選手
  • 赤井 星璃菜選手のお母様に聞きました 赤井 星璃菜選手
初めて耳にした我が子の、辞めたい…。

初めて耳にした我が子の、辞めたい…。

人生は1度きり。そして何がよかったのか確かめることはできない。二つの人生を生きて比較することはできないのだから。
『これが自分の道!』と言い切れるかどうかは、満足感や充足感に直結する。いま進んでいる道とは違う道を行きたくなる時もある。その時どうするか…、悩むこともあるだろう。そして、行くにせよ行かないにせよ、いずれ決断の時がくる。
その時、家族はどう思い励まし支えたのか…。
年商3000億円を超える大手企業に就職した高知出身の山田祐也は、父母に対し人生初めて「辞めたい」という言葉を口にした。そして、「逃げ道をつくりたくない」と語り、会社を辞めてから養成所試験に臨むことになる。父浩之さんと母夏江さんは、親としてどう向き合ってきたのだろうか。

Q.どんな子どもでしたか?
A.小学3年生の時に野球を始めたんですが、とにかく小さくて非力でした。かわいそうなくらい。ただ、内に秘めてがんばるタイプっていうんでしょうか、試合に出られなくても泣き言を言わない子でした。我が子ながら、努力家だと思います。それから反抗期があったのか、なかったのか…くらいの感じでした。
Q.選手を志すようになったのは?
A.地元の工業高校を卒業すると大手企業に就職しました。年商が3000億円を超える自動車関連の触媒メーカーで、職場は姫路でした。自立してやれやれと思っていた時、突然「会社を辞めてボートレーサーになりたい」と言ってきたんです。野球で試合に出られなくても辞めたいと一言も言ったことがないのに、です。辛抱強い子がそこまで言うんだから、相当な覚悟だろうと考え、「そうか、選手になれよ!」と返しましたが、40倍を超える難関だとは、私たちも知りませんでした。実は祐也もボートレースを見たことがありませんでした。マスコミに触れて夢を見たようです。
Q.実際に選手になるまでの道のりはどうだったのでしょうか?
A.会社に勤めながら試験を受けてもよかったのに、「逃げ道をつくりたくない」と会社を先に辞めちゃったんです。「俺にはボートレースしかない」っていう決意だったんでしょうね。でも、1回目は1次試験さえ通りませんでした。ほんとうに未知の世界だったので、受けてみて、「今のままではダメだ」と気づいたようです。それで何をしたかというと、マイカーを売ってしまったんです。そのお金と退職金で、家庭教師をつけました。大手家庭教師派遣会社から来た大学生の先生でした。ほんとうに真剣でしたね。その甲斐あって2回目の受験で合格。本人から「受かった!」って電話があった時のことは忘れません。
Q.ボートレーサー養成所について。
A.正直危険な職業なので、母親は安全な道を行ってほしいなっていう気持ちもあったようですが、本人が決めたことですから…。
ボートレーサー養成所に入ると、家族や友人と文通する人もいるようですが、訓練に集中していたんでしょうね。手紙のやりとりは1回か2回だけ。ほとんど連絡もありませんでした。ですから休みの日にげっそり痩せて帰って来た時にはびっくりしました。どうしても選手になりたいという意志というんでしょうか。輝いた目をしていました。
修了記念の日には、夫婦と妹の家族三人で養成所に出かけました。
Q.プロとしての目標などお話はされましたか?
A.養成所修了は通過点だと、本人も私たちも思っていました。だから、初めから目標がありまして…、それが『最優秀新人』でした。2013年5月にデビューしたので、2016年はラストチャンスだったんです。その年、同期で元オートバイレーサーの山崎郡選手や114期の養成所チャンプの松尾拓選手に、114期の羽野直也選手も成績優秀で候補でした。祐也には決め手がなくて厳しい状況だったんですが、なんと対象期間最終盤の12月18日に平和島で優勝したんです。これが初V。そうしたら、次の節、奇遇にも新人賞争いをしていた同期の山崎郡選手と一緒に…。おまけに優勝戦で戦うことになったんです。3コースからまくってきた山崎郡選手を何とか抑えて逃げることができたんです。連続優勝です。テレビでレースを見ていましたが、とても感激しました。
Q.選手になってからの様子を教えてください。
A.とにかく時間があれば、記念選手のレースをビデオで見て研究していますね。チェックしながら、「俺に何が足らん、何が足らん…」とつぶやいていることもあります。焦るといけないので今は勉強の時だと思って踏ん張ってほしいんですが、経験もないのに言い過ぎてはいけませんから、私たちが外野から意見を言うことはありません。ただ、野球をやっていた頃に比べて断然家族の会話が多くなりました。幸せなことです。家族の存在が少しでも癒しにつながるなら…と願っています。
Q.家族としての願いや夢をお教えください。
A.人の言うことを素直に聞きながら、最終的には自分で考え選択して行動する祐也なりのやり方で通してほしいです。グラつかず、信念をもってがんばってほしいです。
親だけにできること、親だからできないこと、がある。

親だけにできること、親だからできないこと、がある。

人は、自力では誕生しない。親がいるから生まれ、家族の中で育まれ、友人、同僚、先輩、後輩、知っている人、知らない人…幾重にも重なった人との縁の中で暮らしている。
当然ながら、ボートレーサーも自力では誕生しない。さまざまな偶然があり、出会いがあり、意志があり、プロセスが存在する。40倍を超える難関を突破し、さらに修了できて初めてなれるのがボートレーサーだ。「置手紙して試験に」「漫画・モンキーターンを読破」「養成所への手紙は何度も下書きした」と語るのは、大阪の赤井星璃菜の母・赤井啓世さん。親としての願いや思いを聞いた。

Q.どんな子どもでしたか?
A.とにかく活発な子で、男の子と同じことをするんです。ちょっと無謀というか…。あちこち走り回ったり木に登ったり。まあ動き回るんで、よく服を破いてました。ママゴトなんかしませんし、人形も放ってましたし…。子どもなのに、おもちゃの要らない子でした。ピアノも習字も途中で投げ出したんですが、バレエだけは違いました。4歳から始めて21歳まで足かけ18年続けることになりました。「テクニックは大丈夫。表現力を磨きなさい」と先生からよく指摘されていたのを覚えています。バレリーナは痩せていて可憐な感じの方が多いんですけど、うちの子は細くはない。その代わりよく動きますよ!って感じでした。
ただ、小学校から中学2年生までは本が友達っていうくらいおとなしく、笑顔をほとんど見たことがありません。いじめが社会問題になった頃で、本人に聞いても『教室の掃除を誰も手伝ってくれないからしんどい』って感じで…、ただ自由奔放に過ごしていたわけではないんです。
Q.選手を志すようになったのは?
A.20歳の時、何の前触れもなく「イタリアに行ってくる」と言い出したんです。それも教室の手助け一切なしで。いきなり自力でイタリアのバレエ団を探し出しました。インターネットで検索しながらメールでやり取りしていたら、OKが出てしまって…。無謀ですよね。
でも、もともと大学に進学しないでバレエで生活したいと言っていましたから、だったらガンバレ!と励ましました。いま思うと、これがボートレーサーへの起点です。
イタリアでは、「ほんとに来た!」とバレエ団関係者に驚かれたようですが、とても親切にしてもらったと聞いています。探してもらった部屋にいる時、たまたま漫画・モンキーターンをインターネットで読んだそうなんですね。これがオモシロくて、どんどん読んでいった…。お金もないのに、課金して読破してしまったそうです。それに加えて、何の準備もなくイタリアに行ったのでビザが取得できずに3ケ月で帰国することになるんですね。こうしたことが重なってボートレーサーを本気で目指すようになりました。
Q.実際に選手になるまでの道のりはどうだったのでしょうか?
A.帰国にあたって娘は、密かにある計画を立てていたようです。「本物のボートレースと漫画は一緒なのか、違うのか、確かめにレース場に行く」という計画です。どうやら、私に怒られると思い黙って行くつもりだったようなんですが、あろうことか住之江の出走表を家の中に置き忘れてまして…。バレてしまいました。「何?これ?」って感じで娘に聞くと、興味があるというので一緒に連れて行ってほしいと頼まれついて行くことに…。一緒にGⅠ太閤賞を見学しました。
娘は、本物のボートレースを見て、「ボートに乗ってみたい」って気持ちが沸いてきて、「乗るには選手になるしかない」と思ったようです。
Q.ボートレーサー養成所について。
A.あるとき、飲み会に行ってくるって娘が言うもんですから、何も考えずに送り出したんです。そうしたら、置手紙がありまして…。ボートレーサー養成所の試験を受けに行っていました。結果は1次に合格はしましたが、2次止まり。合格は2回目です。
養成所に入ってからは、厳しい管理下に置かれていますから、自由に外出したり、電話を使用できません。連絡は手紙が主になりました。
ただ、心身ともに相当しんどい時に、変な手紙を書いてショックを与えてはいけないと考え、下書きをしてから読み返し、感情的になっていないか確認してから送っていました。それから、手紙で漢字テストもしていました。手紙に漢字問題を書いて送ると、娘から解答が来ます。それをまた採点・添削っていうやりとりでした。
修了までの間、『赤井は指示されたことができない。適性がない』と言われたこともありましたが、修了できてよかったです。
Q.選手になってからの様子を教えてください。
A.優勝劣敗の世界ですから、厳しいことは分かっていますが、娘は良き先輩に恵まれていると思います。話しを聞いたり、様子を見ているとよく分かります。理解をしてくれる方が周囲にいることは、家族としてもとてもうれしいことです。早く成績を…と思う気持ちもありますが、プロの競技者として、成長してくれればと思います。
Q.家族としての願いや夢をお教えください。
A.当然、強くなって勝てるレーサーになってほしいですが、事故には気をつけてもらいたいです。正直複雑な気持ちもあります。そして何より、人に恵まれてることに感謝してほしいです。周りの方々のお陰で今がある。勝負の世界にあってもそのことを忘れないでほしいです。その先、努力が報われたらいいなって思っています。